心理的安全性が低い日本社会は最適解に至らず競争力低下

心理的安全性が低い日本社会は最適解に至らず競争力低下

変異株の感染者急増が止まらず政府は細かな制度調整を図っているが、とても間に合わず抜本的な変更を求められている。その最たるものが感染症法上の分類であり現行2類相当になっている新感染症の変更である。

しかし岸田首相は感染者が急増する中での変更は考えてないときっぱり反対した。あくまで感染者数の抑制にこだわる姿勢を明確にした。しかし社会の混乱や病床のひっ迫はその為に悪化する事になっている。今までインフルエンザがどんなに流行っても社会に制限が掛かる事は無く、ましてや飲食店に時短要請など無かった訳で各自の判断に任せられたのである。変異株になって毒性は下がって殆どが無症状、軽症になったのだから5類に変更しろという意見が高まっている。

海外がいち早く、昨年の内に濃厚接触者の隔離を停止したり、回復者の復帰日数を5日間に短縮したりと矢継ぎ早に変更したのと対照的に日本はやっと濃厚接触者の観察期間を14日間から10日間にするに留めただけである。何がそれ程変更を遅くしているのか。もちろんブースター接種が遅れているというのが一番の理由だが、臨機応変に対応出来ないのはそれだけの理由ではない。

日本では意見を言う事に心理的安全性が高くないので余り反対意見を言えない空気があるのである。もちろん一部の人は声を上げるのだが大部分の人は自分の安全性を考えて大人しくしている。せいぜいヤフーのコメント欄に匿名で罵るくらいである。だから一度決められた事は中々変わらず、戦争でも航空機時代になっても大和は中止されず時代遅れの巨大戦艦を作ってしまって戦争に負ける。

その頃から何ら変わらず21世紀の新感染禍に於いても同じ事が繰り返されているのである。新感染症の最初の原株の時に作られた2類相当からそのまま何の見直しもせずに今に至っている。その間に新感染症は変異を繰り返し、感染力は上がっても死亡率は下がっていて毒性はインフル並みに下がっているのに規制はそのままだから社会がマヒするのは当然なのだ。

こうやって21世もまた日本は大きな失敗を繰り返そうとしている姿は絶望しかない。心理的安全性は医師の凡ミスをナースが怒られる事を怖れてミスを指摘しなかった事を起因する。気軽に間違いを指摘できない環境で起こる重大ミス、そこから起こるチームの心理的委縮がパフォーマンスを低下する事につながり、発想の転換などの出来なくなる事につながる。日本ではこんな状態から抜け出せず同じ間違いをずっと繰り返しているのが長期の停滞に繋がっているのである。