無観客五輪誕生!

無観客五輪誕生!

ついに五輪が無観客になってしまった。これで本当に五輪をする意味はあるのだろうか。スポーツ的には意味はあるだろうが国家が五輪を呼び寄せるのは経済的効果を狙っての話だろう。殆ど経済的効果が見込めなくなった五輪は最早お荷物でしかない。日本は大きな負債を押し付けられて形だ。勿論五輪を殆どテレビで見る外国は殆ど影響がない。この時期にオリンピックをやらなければならなくなった日本が一番貧乏くじを引いた形になる。

五輪 “無観客”で問われる開催意義 運営の大幅見直しも

本当に冷静な判断をするなら、3年後オリンピックももう一度やらせてもらう権利を付帯して欲しい所だ。日本はそれ位の犠牲を払っているのではないか。次回のオリンピックがどれだけ準備が進んでいるというのだろうか。こうれだけの非常事態なのだから、ワクチンが進んでいる英国でもう一度やってもらうとか、開催時期の交換するとか様々なソリューションがあったのではないかと惜しまれる。

声援を力にも変えられなくなった選手は静寂な会場でテレビの向こうの声援を創造して立ち向かわなければならない。前代未聞、唯一無二の大会になるかもしれません。まぁ、5Gや高速通信など様々なテクノロジーがあるのだからフル活用して配信して欲しいものだが、どこまで対応できるだろうか。

こうなったら今ある技術全部使って日本の技術をアピールできるオリンピックにしたら良いのに、どこまでできるのか。今の逆風の空気の中では余りそれも望めそうもない。今はダメージコントロールでそれだけ損害を抑えるかで躍起になっているのでしょう。

観客がいない分会場をカメラで埋め尽くしてあらゆる角度から映して立体動画放送で放映したりあらゆるデータを揃えて多角的な見せ方を可能な限り試験運用的にやってしまえるチャンスである。転んでもタダで起きない精神を日本が見せられるか正念場である。