自動運転のコペルニクス的転回を日本社会は理解しない
- 2021.02.03
- アフターアース
日本では道路事情も相まって自動運転なんて無理だろうという意見が大半である。しかし、それは日本の社会の保守性がなせる技である。iPhoneなんて絶対普及しないと言っていたのと同じである。
先ず社会が変わってしまうだろう。自動運転を容認する社会になるのである。それに向けて社会の法体系も変わってしまう。大前提が変わってしまうのだから、今の常識が通じないのである。
今の社会で自動運転なんてとても無理と思ってもダメなのである。今のナビでも悩むのに自動運転なんて無理なんて考えても仕方ない。人身事故を考えても今は人優先に考えられていますが、それが変わってしまえば自動運転があっという間に認められる事になります。
そういった社会の変化まで考えられないから日本は先を見通せなくて競争に負けてしまいます。欧米ではルールを変える事が競争に勝つための重要な要素になっています。所が日本ではルールを守ることに縛られています。
iPhoneでも電話に焦点を合わせていたら、決して成功は見込めなかったでしょう。iPhoneは電話ではなく、電話はオマケのような存在でした。ネットツールといっても過言ではありません。当時ネットではFLASHが当たり前に使われていましたが、iPhoneでは見られませんでした。所が数年経ってみるとFLASHは推奨しない技術になっていました。
そして今年遂にFLASHのサポート中止という所まで来ています。前提が変わるとはこういう事です。iPhoneがインターネットその物を変えてしまったのです。モバイルファーストもiPhone在っての話です。この様に世の中を変えてしまったiPhoneは携帯の枠に収まりません。
自動運転にもそういった視野が必要です。先ずは米国などで交通ルールが変わるでしょう。それが世界標準となって日本も受け入れなくてはならなくなります。自動運転優先の交通ルールが確立して賠償保証でも有利な仕組みが出来る筈です。これは全ての人に移動の自由を保証するという大義名分がついて最優先される社会になるからです。
こういった社会変遷に想像力が及ばないから近視眼的に自動運転は出来ないと短絡的に考えてしまうのです。そうじゃ無いんです。総ての前提が変わってしまう未来を見据えて行動しなければなりません。
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