車にもkillスイッチが必要な時代、人は命を機械に預けたくないはず
- 2020.10.22
- アフターアース
車の電子制御が進み、最近ではギアの変則も直接繋がっておらず、電気的スイッチでギアチェンジが行われる。これは車がATになった時からの流れですが、最近起きる暴走事故との兼ね合いも含めて考えさせるものがあると思う。殆どは運転者のミスとされている暴走事故ですが、やはりイザという時に緊急停止ボタンの様なものが欲しいと思います。
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メーカーは暴走事故は絶対起こらないと主張しますが機械に絶対はありません。水漏れで回路がショートして誤動作を起こす事だって考えられます。暴走が起きた時ニュートラルにも入れられないなんて絶対にあってはならない筈です。車は人の命を預かっているという意味をメーカーが理解していないとしか思えません。こういう緊急時にマニュアルで機械的にニュートラルに入れられる機構とかを残すべきなのです。
これは多分コストの問題で実現できないのだと思いますが、現実的解答としてkillスイッチがあれば解決できると思います。強制的にエンジンへの電気を機械式に止めてエンジンを停止出来れば暴走は止まる筈です。こういう普段使わなくても何時でも止められる機構があるというのは心理的安心をもたらします。
スペースシャトルは緊急脱出装置がありませんでしたが、チャレンジャーの事故の後、装備されたという事になっている。車にもそういう意味で何かあった時の安心装置としての機構が必要なのです。保険のようなものですね。人間にはいざという時の為のとっておきの手段というのが日頃の行動の担保になっているという側面があると思います。
そしてこれは緊急時以外使えないものではダメなのです。日常でも何時でも使えて作動する事が確かめる事ができなければ安心に繋がりません。東証のバックアップが効かないシステムのようなモノではダメなのです。いつでも作動する事が目に見える、確証できなければなりません。
人間は機械の下僕にはなりたくありません。あくまでも主人は人間で機械を制御出来なければなりません。コンピュータが発達してAIが進化して人間の地位も危うい状態ですがあくまで最後まで抵抗するのが人間の生業というものでしょう。
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