人々の価値観も変えた新感染症の影響力
- 2020.09.22
- アフターアース
新感染症の影響力は留まるところ知らず、世界のあらゆる事に及んでいます。近年ネットの発達で世界が身近になり同じ話題が世界的に共有される様を見てきた訳ですが、新感染症がこれほどの世界同時体験をリアルタイムで接するとは思っても見ませんでした。
感染症の危機も、SARSやMARS、新型インフルエンザと近年立て続けに起こっていたのですが、直ぐに危機感は遠ざかりそれに対する備えも予算の配分も行われませんでした。実際パンデミックなんて起こらないと高を括っていた節があります。その前に幾らでも止められるだろうと。
しかし実際起こって見ると、飛行機は止まるし、スポーツも止まるし、エンターテイメントも止まって世界中がロックダウンするという未曽有の事態となったのです。こんな事は一年前に誰も予想出来なかったし、予想しても誰にも相手にされない妄信狂として扱われるだけだったでしょう。
ここでふと考えてしまいます。新感染症が起こらなかった世界と起こった世界では、まるで違った世界が広がっていることを。世界はここで後戻りが出来ない2つの世界に別れてしまったのです。どちらの世界の人間が幸せだったでしょうか。
短期的に見れば、もちろん新感染症の無かった世界が良いに決まっています。そうすれば多くの大切なものを失わずに済みました。
それでは人類は新感染症から何かを得たのでしょうか。新しい知見を何か得られたのでしょうか。それは失ったものに匹敵する価値を齎してくれるのでしょうか。何れもノーでしょう。
それでも人類はここから何かを学ばなければなりません。人類に選ぶ権利は無かったのです。新感染症がやって来ない未来は初めからありませんでした。だからどんなに取り分が少なくてもそこから何かを得なければ少しでも損を取り返さなければなりません。
転んでもタダでは起きたくはないという気分ではないでしょうか。いやいや、そんな風に考えなくても新感染禍は人間に様々な事を考えてさせた筈です。これまで当たり前に出来ていた事が全て当たり前でなくなり、全ての日常を更新する必要が有りました。
一体ここから何が学べるかは、まだまだこれからの行動に掛かっていることですが、これをただの不運な出来事にせず経験値に変えていく作業が必要です。これから先の出来事に対しても無駄に終わらせたくはないものです。
-
前の記事
新感染症失敗で科学者からも見放されたトランプ大統領 2020.09.22
-
次の記事
ゆうちょ銀行は鍵も掛けずに持ってけ泥棒状態だった 2020.09.23