楽しく生きる技術とは21世紀を生き延びるサバイバル術
- 2020.09.08
- アフターアース
最近では、何々する技術という本が大流行である。全ては技術が解決するという技術信奉主義の世の中を表すキャッチーな表現方法として受け入れられているようだ。また一昔前の、精神だとか根性などの精神論では無くて、全ては技術に因数分解出来るという概念も広く受け入れられてきた。
そういう訳で楽しく生きるのも、その人の性格とか精神の有り様で無くて、技術に還元出来るというのが、楽しく生きる技術という事である。
しかし、こういう方法論が受け入れられるというのは、誰も彼もが同じ淘汰圧を受けるという事でもある。大昔ならどう生きようとその人の勝手で余計なお節介なのだが、価値観の多様化と云われながらも、こういう点で現代は狭い領域に価値が集中しがちである。
様々な論点が存在するから、指針として手掛かりとしてこういう考えが広く受け入れらるという考えもあるから一概には言えませんが、変わり者を排除する考えは先鋭化していると言える様な気がします。
個人としては楽しく生きる必要もないと思いますが、それで失うモノもありますから、好きなように生きるべきという事にやぶさかではありません。なのに敢えて楽しく生きる技術を推すのは、多少人生にプラスに働くかもしれないと思ったからです。
特に思い込みやすい、落ち込みやすい人には、精神の安定からも楽しく生きる技術は覚えておいて損はない技術と思います。といっても楽しく生きる技術が本当に有ると言ってる訳ではありません。ここで、へ、どういう事って思ってしまうでしょうが、ここで言おうとしているのは楽しく生きる事も技術かもしれないという仮説です。
ここだなーんだと思ってしまうでしょうが、そういう事です。つまり心の中の動きも小手先の方法で変化させる事が出来ると。そんな事に騙されないぞ、と思ってしまうと何事も受け入れる事は不可能ですが、そこが案外分岐点なのかもしれません。
また、そんな簡単にコロコロと気持ちが変わってなるものか、そんなに軽い人間では無いと思う人もいると思います。しかしそれも変わらなければ良いと云うものではありません。
どうも日本人はあんまり楽しんではいけないという心の中のブレーキが存在している気がします。それがラテン系の様にはじけられない一因ではと思います。日本ではハレとケの世界観があってハレの非日常でははじけて良いですがケの日常では普段の生活が求められ、ふざけられないという大人の生活を強いられます。
この辺も楽しむ事を否定的に捉える文化が根付いているように感じられます。多分この辺も古い考えで今のひとはそんな事に余り捕らわれないでしょうが、影響は多少残っていると思います。だからそういう因習の様なものから自由になる事も重要です。そういうものから自由になる方法が楽しく生きる技術なのかもしれません。
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